ゆるランの楽しみ
- 小池 洋子
- 10月29日
- 読了時間: 4分

このたびは、イベント報告ということではなく私の好きなファンランやトレイルランについて紹介させていただく機会としてブログリレーのバトンを受け取らせていただきました。
皆さんはどのようなきっかけで走ることを始められたのでしょうか?
私の場合は、次女の水泳教室の待ち時間潰し、が走るきっかけでした。
20年ほど前に遡りますが、次女は家族で滞在中だったカリフォルニア州のサンホセにあるコミュニティカレッジの屋外プールに通っていました。夕方5時から1時間ほどの間なのですが、野外は薄暗く本を読むことも出来ないのでブラブラと校内を歩いていたら、なんとプールの隣に煌々と灯りのついた立派な400メートルトラックがあるではありませんか!しかも人もまばらで使いたい放題。試しに1周、2周と走ってみたら気分スッキリ。以来毎週娘の水泳レッスン1時間が私のラン時間となりました。
それから不安を抱えての初めての10キロレース。地元のフルマラソンレースデビュー。年一度だけのフルマラソンレースとユルラン続きで細々と走り続けてきました。普段は家のまわりを5-10キロ、そして週末は家から7キロ程離れたRancho San Antonioというトレイルに行くのがお決まりコースでした。
トレイルは標高600メートルほどで高尾山と変わりない高さながら、春にはワイルドフラワーが咲き乱れ道幅も広くなだらかで、子うさぎや鹿、ターキーなどに挨拶しながら小川の淵や山林の静けさの中を走る早朝の9キロまたは16キロ独走の爽快さは他のどこでも味わえない快感でした。特に16キロコースの眼下に雲海が広がる贅沢な風景が今でも目に焼き付いています。
昨今日本では熊の出没が心配されていますが、私の走っていたトレイルではマウンテンライオンが出没。実際親子でハイキングしていたところ子供が襲われたという事件もありました。私はコヨーテが正面から走って来てどうしよう、思ったことがありましたがあちらが脇道に逸れていって危機一髪、ホッとしたことがありました。ちょっと危険だけどあの爽快感はたまらない、この低山にはそんなトレイルランを楽しむ独走者が数多くいました。
レースで思い出深いのはやはり4回出走したボストンマラソンとボストンマラソンと1週間後に行われるビックサーマラソンとのセットで東 西両海岸を走るB2Bというレースでしょうか?世界中の人が様々な思いを抱いて参加してくるボストンマラソンは私にとっていつも特別なレースでした。
初めてのボストンマラソンは第111回大会。知る人もなくたった一人で参加したその日は暴風雨で開催が危ぶまれ雨と寒さの中で震えながらのスタートでした。それでも走り始めると気持ちは高揚してこの上なく幸福な気持ちになったことを覚えています。フルマラソンを走る多くの方が皆思うことかもしれませんが、最後辛くて辛くてゴールの後はもう二度と走るものかと思うのですが翌日になると、いやまた挑戦しようと強く思うのです。そしてなんとしても毎年ボストン出走資格BQ(Boston Quolify)をとって節目の年には必ずボストンに戻ってこよう、そんなふうに思うようになりました。結果長女、次女の高校卒業に合わせ子供達にエールを送るつもりで出走、そして最後は2019年帰国時新しい自分に向けてのエールのつもりでボストンを走りました。
帰国後のコロナ禍では目標もなくすっかりサボり癖がつき5年ほどダラダラとしながら、水源巡りラン、花見ラン、夏の滝壺、川ドボンラン、社寺巡りラン、ビアランなどをしながら遊んでいましたが、善福寺川沿いをジョッギング中ふと「善福寺ランナーズ」の旗を見つけ少し自分に気合を入れなくちゃと思って入会させていただきました。ところが長年ゆるらん専科、サボり歴5年の私は入会してびっくり。毎週の1周は15キロ 鈍った体に鞭打つ距離です、、、。15キロの最後はダッシュする人多数。えー絶対ついてけん。みんな凄すぎてついていけない、、、と泣き言を言って途中で引き返す私ですが、それでもオッケー👌みんな無理せず自分のペースで走りましょうという、ランナーズの眼差しが優しくこれからも頑張ろう!と思っている私です。今後ともどうぞよろしくお願いします。
























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