
善福寺川ランナーズ
善福寺川ランナーズ誕生物語
――昭和30年代、40年代は、まだ走る人がとても少なかった。
<善福寺川のほとりを、数人の男が勝手に走っていた。ある夏の日、走り終わって、
せきれい橋のベンチで休んでいると、向こうのベンチに見知らぬ5人の男女が走り終わって、
じっと私を見ている。これが、創立のキッカケだった。
早速、クラブ名を「善福寺川ランナーズ」と決め、公園に会員募集のピラを貼った>
<その年(昭和51年)の11月3日、文化の日。かねてから準備万端で
「善福寺川ランナーズ」発足の日と決めていたこの日は、生憎の雨だった。
7日の日曜日も、続いて14日の日曜日も、まるで狙い撃ちされるかのように雨となった。
天が恨めしかった。やがて、ついに21日、”その日”を迎える。
快晴である。集合場所は、せきれい橋近くの公園広場の片隅。
木々は深まり行く秋の風の中に葉を落とし始めていた。
公園を散策する人もまばらだったが、明らかにそれとわかる人たちが集まってきた。
総勢17人。
――ここに走る仲間の会「善福寺川ランナーズ」が誕生した。
雑誌「ランナーズ」の創刊は私たちのチーム発足のわずか5カ月前。
東京の一角、杉並区に流れる清流・善福寺川。
そのほとりに弧々の声をあげて誕生した私たちのチームを誇りに思う>
<なぜ40年も続いているか。
みな、人柄がよく、仲がよかった。そして、走る一点にまとまっていた。
お互いに、相手の優れたところに刺激を受け、自分を育ててきた。
来るを拒まず、去るを追わず、自由な空気があった。
40年の問、新しい元気な人が出てきて世代の脱皮が自然と行われてきた。
なにより走る環境が素晴らしい。
緑の、善福寺川、神田川のコースが私たちのランを長続きさせている>
<未来へ――時代はどんどん変わる。
創立時の5km、10kmの時代から、今やフルマラソンは当たり前。
70km、100km、あるいはトレイルなどを走る時代となってきた。
「せきれい橋」 がランナーズ発祥の広場であり、原点。
各人がこの原点の上に立って、活動を伸ばしてゆく。
そして、全員が仲良く協力しあい、みなで意見を吸収しあい、ランナーズを愛し、
明るく楽しいランナーズにしていきたい>
そして今も変わることなく、毎週日曜日の6時半。
ラジオ体操のあと公園を2周。その後は自由――
参考:善福寺川ランナーズ「創立30周年記念誌」