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サロマンブルーから10年の月日が流れて

  • 片柳 法子
  • 2020年6月25日
  • 読了時間: 2分

私が善福寺川ランナーズのメンバーになってから4分の1世紀の年月が経った。あの頃は皆さんの後ろから着いてゆくのがやっとだった。しかし緒先輩達に温かい言葉をかけていただき、10キロ、ハーフ、30キロ、フルマラソンと距離を延ばして行くことが出来た。フルマラソンのタイムを4時間切れれば、サロマ湖100キロマラソンを完走出来ると先輩から聞いていたので「そうだ、私にも出来るかもしれない」。淡い期待を胸に1999年初のサロマ湖100キロマラソンに挑んだ。しかし練習し過ぎて怪我をかかえて行ったサロマ湖。74キロでリタイア。この失敗はかなりショックだった。「100キロはそんなに甘くない」と自分に言い聞かせて、この失敗があったから今があるんだと初心にかえって練習を積んだ。

2000年から始まった私の50代は常にサロマ湖100キロマラソン完走を目指していた。この写真は2008年8回目の完走した時の写真だ。この日はウルトラマラソンにはうってつけの天気でとても気持ち良く走れた。このあたりから「サロマンブルー」という言葉を意識し始めた。そして2010年。10回目のサロマ湖を迎えた。あの当時の日記をパラパラと捲ってみた。「2010年7月9日(金)サロマ湖から戻った。今年のサロマは暑くて大苦戦。スタート5時の時点で気温19度、日中33度。しかし100キロという距離に対する不安はなかったので、あとは気温と気持ちとの戦いだった。制限時間13時間。80キロの関門を何とか通過。6分前。ここから原生花園に入る。例年ならここまで来れば大丈夫と思うのだが、ジリジリ照りつける太陽と小刻みなアップダウンがかなり脚に堪える。いつもはハマナス、エゾスカシユリの花等が咲き乱れていて、眺めてはホッとするのだが今年はそれどころかではない。90キロの関門5分前。ゴールタイム12時間55分36秒。暑さのためか完走率は50%を切っていた」。

村上春樹著「走ることについて語るときに僕の語ること」という長いタイトルの本がある。その中で彼が実際にサロマ湖100キロを走った心象スケッチの文章を十数ページにわたって書いている。ここまで自分の内面を分析出来るなんて凄いと思う。さすが小説家だ。この本はサロマに行く前に必ず何回も目を通した。ご興味のある方は是非ご覧になって下さい。

こうして「最後まで諦めずに」をモットーに走り続けた。最終的には15回サロマ湖に足を運んだ。私はこの善福寺川ランナーズに長いことお世話になり、育てていただいたと心からそう思っている。本当に「感謝」そしていつも温かく見守ってくれた主人、娘夫婦に「ありがとう」。

 
 
 

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