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山で捨ててはいけないもの

  • 南部 哲郎
  • 2021年8月8日
  • 読了時間: 6分

更新日:2021年8月15日

 山で捨ててはいけないもの2つ、それはゴミと命。そんな映画(岳)がありました。この夏、まさか私がその恐怖に直面するとは思いませんでした。ついては山好きの皆さんに私のように愚行なきよう、決して大袈裟でない体験記を以下にご報告します。


 私は8月2・3日に日本百名山の火打山・妙高山に単独山行。この山塊はわが国有数の豪雪地帯ゆえに、高山植物が咲き乱れる美しい湿原と可愛い雷鳥さんの貴重な生息地として有名。私はこの2つに会えることを期待して、夏空の太陽のもと緑あふれる涼風に吹かれながら、初日にまず火打山を登頂。

 山頂下の高谷池・天狗の庭など高地湿原はワタスゲなど花々が満開で、CNNの「世界で最も美しい場所31選」に選ばれた雲上の楽園に大満足。また山頂付近に生息するはずの雷鳥さんはハイマツ群生に目を凝らすも、会えなかったけど鳴き声は聞こえた気がして、久々の声に安堵。そしてその日は黒沢池ヒュッテに宿泊。


 翌日も快晴。私は朝5:20に出発し、もうひとつの百名山・妙高山に向かった。快調に30分ほど歩き大蔵乗越を越え下ると猛々しい山頂が眼前に迫る。いよいよ山頂アタックだ。ほどなくして登山道は2つに分岐、いや分岐しているようにみえた。ひとつは下るアップダウンルート、もうひとつは直登するガレ場ルート。私は「これはよくある男坂・女坂の類で直登が早いな」と本能的に直登ルート選択した。これが「遭難」騒動の入り口だった。

 そのルートは直登斜度が一気に増し、登りはボルダリングまがいの垂直登攀に・・・。「男坂とはいえこんな過激なルートはおかしい」と思いつつも連続する直登スリルに無我夢中になり、突き進む。するといつの間にか完全に「道」ではなく10mほどの絶壁に遭遇。そこで初めて「これは道ではない。カラ沢跡の崩落現場だ!」と気づいた。でも引き返すには退路が急峻すぎて危険。もう登りきるしかなかった。


 多くの遭難事故は道迷いから始まる。すなわち、正規ルートを外れ迷い込み不安になり、焦って下る途中の滑落が大半。ならば逆に尾根まで登り切ったほうが安全と信じ、危険な岩の絶壁を迂回しながら土が見える確かな草木を掴んで、両腕に全体重を預ける垂直登攀が続いた。緊迫と緊張の連続だったが、「尾根に出れば助かる(道はある)」と信じ込み、なんとか絶壁を登り切り念願の尾根にたどり着いた。

 しかし、そこは背丈3m弱ほどのクマザサ等が密集するジャングル。足は地面につかずクマザサの根元茎の上で不安定、目線レベルはクマザサが生い茂り視界はない。あるのは頭上に30センチ四方の空間から空が見えるだけ。必死にヤブコギして道を探すも、道らしき形跡すら全くない。加えて太陽も山々もみえず、方角もわからなくなった。そこで私は初めて自分が「遭難」したことを悟った。


 もう下ることも登ることもできない。万策尽きた。これまでの疲れがどっと出てきた。「安全な夏山でもこうやって遭難するのだな」と思い、まさかそれが自分に襲い掛かってくるとは・・・。クマザサ等が密集するジャングルは腰を下ろす場所もなく、ただ棒立ちで佇むばかり。「もしかしたらもうダメかもしれない」、絶望が一気に心を支配する。大声で何度も叫んだ。「助けて!助けて!」。でも叫びは3m弱のクマザサのジャングルにかき消され、こだまもない。

 いよいよ最終手段、電話連絡と思い、恐る恐るスマホを取り出した。されど案の定、通信圏外。ダメもとで黒沢池ヒュッテに電話やショートメールした。「妙高山の大倉乗越近くの尾根で遭難。助けて」。でも繋がらない。GPSのせいかバッテリー消耗も激しい。

 「いよいよダメか。でもここは絶対に捜索できないな。ヘリでも見つけられない。遺体すら発見されず死ぬのだろうか。自分の人生はこうやって突然終わるのか」。半分、諦めてきた。とにかく体力を温存すべく座れる場所を探そう。そこが死に場所になるかもしれない、そして永遠に発見されることもなく。家族、友人、会社、ランナーズ・テニス仲間など様々な人たちの顔が目に浮かんだ。皆、私の「遭難死」をどうやって知るのだろう。私は「お別れの言葉」も言えずにこの世を去るのか・・・。


 道に迷い始めてもう2時間近く経過していた。しかし、少し冷静になって考えると幸運は4つあった。①好天であること、②水・食料も十分であること、③まだ朝の8時頃、時間もたっぷり、④体力もまだある。そこで私は意を決した。「生きよう!こんな死に方はしたくない!絶対に生きて家に帰ろう!」。「ゆっくり時間をかけて下るしかない。直登斜面の滑落を回避して、思い切って大きく迂回し、安全な下りルートを見つけながらヤブコギしよう。たとえ滑落しても体力の限界まで自力で生きる道を目指そう」。そう決意すると意外と元気と勇気が湧いてきた。無我夢中の30分強の下降ヤブコギが続いた。露出した手足は擦り傷と打撲の連続、でも滑落よりましだ。

 すると幻覚?と思ったが、かすかに「けもの道」が見え隠れする。タヌキ等が通れる地上40センチ四方ほどの空間だ。地面が見える!これで安心だ、滑落しない!私は「けもの道」を這うように、所々ほふく前進する。泥だらけ・擦り傷だらけだが、「もしかしたら助かるかも」と思えてきた。でも「けもの道」は何度も途中で消失し、また自分の背丈を覆いつくす視界のないクマザサのジャングルとなる。それを4・5回繰り返しているうちに、徐々に下り斜面は緩やかになり、ジャングルの背丈も低くなってきた。「これは絶対に助かる!」、確信に近い希望に満ちてきた。その希望の光に後押しされて、より力強く夢中で深いヤブコギ下降を続けた。


 そしてついに急に目の前が広がった。突然、目の前が緑の闇から青空の光に開けた。そこに現れたのは、黒沢池湿原だ。ここに出るとは全く想定していなかった。何か不思議な力が私を誘導してくれたようだ。そこは何と今朝出発した黒沢池ヒュッテ近くの見覚えある湿原なのだ(添付写真)。

 「助かった!」「やった!」、私は青空と湿原に向かって大声で歓喜の叫びをあげた。3時間近い「遭難」から脱出できた。湿原の緑と青い空、そして眩しい陽光に「生還した感謝」を実感。ヤブコギはもう腰下ほどに低くなっていた。ほどなくして木道にたどり着き、私は黒沢池ヒュッテに向かった。同ヒュッテに一連の顛末報告をして、汗と泥を流し小休止。私は振り出しに戻って再度、妙高山にアタックした。それからは慎重に堅実に冷静にじっくりと焦らず。


 再スタートした私はすっかり別人格になっていた。明るく、陽気で、元気いっぱい・・・。老若男女問わず出会うハイカー達に積極的に声掛け・挨拶する。「頑張ってますね。気を付けてください。ガレ場がありますから」「今日はいい天気ですね。野尻湖も北アルプスも見えますよ」「写真撮りましょうか?任せてください」等々・・・。

 その明るい別人格は下山後も続いた。途中立ち寄りした赤倉観光ホテルの親切なスタッフさん、地元共同温泉の観光客や地元のオジサン達と屈託ない裸の交流、妙高高原駅前のお土産店ご夫婦とのほっこり会話・・・。私は自分が生まれ変わったような妙な変化に気づいた。

 ありがとう!火打山・妙高山、妙高高原の皆さん!帰路の新幹線車中のビールは格別だった。そして私を無事脱出に誘導してくれた不思議な力とは何?誰?私はずっと車窓を眺めながらその正体に思いを馳せていた。


 
 
 

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