マラソンと私
- 重永 正徳
- 2023年3月24日
- 読了時間: 6分

【前編】
走るきっかけは、2017年の東京マラソンに当選したからです。友人たちにしつこく誘われて、酔った勢いで、「エントリーしてやるよ!」と啖呵を切ったことが大失敗、結果は私一人だけ当選でした。まるでダチョウ倶楽部のような騙された気分でいっぱいでした。何とか人に譲るなり、逃げる方法はないかと画策しましたが、棄権するか走るかどちらか一つしかないことが分かりました。当然棄権するつもりでしたが、走りたくても走れない人が大勢いる当選難関レースということが分かり、一晩悩みました。結論は、「これは天命である。神様が走れと言っているのであれば走るしかない。」でした。子供のころから足は速かったし、学生時代まではサッカー部で死ぬほど鍛えていました。しかし、それから40年余、走り始めたら200メーターで息切れ、全く走れません。それでも6か月あればなんとかなると練習を始めましたが、すぐに左膝が痛くなり、練習さえできなくなりました。練習しなければ、本番で地獄を見る。練習すれば足が痛くて地獄を見る。つらい日々を経て、さて本番です。10キロぐらいは何とか走りましたが、あとは歩いたり走ったりで、最後は足を引きずりながらゴールしました。何とか黄色い収用車には乗らずに済みましたが、ほっとしたのと同時に悔しさもありました。何とか走ってゴールしたかったと。
そしてそのリベンジのチャンスはすぐにやってきました。2018年も当選してしまったのです。今度こそはと練習して、皇居のハーフマラソンに雪の残る寒い中、寒風吹きすさぶ寒さに苦痛に顔をゆがめながら参加もしました。その時です「おい、金払って時間つぶして、身体中の筋肉に悲鳴を上げさせて、何やってんだよ。お前サドだと思ってたらいつの間にマゾになったんだ。馬鹿野郎!」ってだれかが耳元で囁きながら追いかけてくるんです。今でも覚えてるほど怖かったです。そしていよいよ本番です。初めの10キロは給水捕食も順調、20キロ位から少し足が痛くなり、30キロあたりは痙攣し始め苦しくなりました。何とかだましだまし37キロあたり、もう少しと思ったその時、全身が爆発して、一歩も動けなくなりました。足だけではなく腕も上半身も動かなくなって、棄権しようと思いました。少し先にセブンイレブンがあったので、イートインに腰かけて、呆けたように外を見ていました。どのくらい経過したかしれませんが、フッと気が付くとたくさんの人がゾロゾロ走ったり歩いたりしていました。そうだまだゴールできると立ち上がり、走ろうとしましたが、無理でした。それからトボトボと歩いて一様はゴールしました。リベンジどころかまたしても一敗地にまみれた苦しくてつらいゴールでした。その後は走るのをやめようかとも思いましたが、せっかく走れるようになったのに止めたら、一生走れなくなると思い、自身の健康のため、週1回か2回5キロ程度走っていました。そしていつか本当のリベンジをしようと思っていました。
そしてついに2022年の11月に善福寺川ランナーズに出会いました。最初、すごく緊張したのを覚えています。15キロも走れるだろうか。途中リタイアするにしてもご迷惑をおかけしないようにしなければとかいろいろ考えながら、必死でついていきました。初めから皆様に親切にしていただき、色々教えていただき、すぐに打ち解けることができました。これまで、走る距離が全然足りてなかったことに気づきました。一人では絶対走れない距離を走れるようになりました。今では日曜の朝ランがメインの練習になっています。本当に感謝しかなしです。そんな中、内藤さんに教えていただいて申し込んだ板橋シティーマラソンの本番をいよいよ明日迎えます。正直言って不安しかないです。2月18日の30キロ走が全然駄目だったし、まだ全然準備が足りていないうちにあっという間に今日を迎えました。とにかく、走ってゴールできるよう最善を尽くのみです。レース後、後編で結果をご報告いたします。
【後編】
昨日、板橋シティーマラソンを走り終えました。前日は何度も練習した結果、9時就寝5時起床ばっちりうまくいきました。おにぎり2個と熱いお茶を3杯、餅を4個食べて、レッドブルを飲んで出発。途中、新宿でまさかの埼京線逆方向に乗車して最初のトラブル発生。会場にはスタートの5分前に到着。スタート直前の為、コースを渡ることができません。結局A組のスタート後B組のスタート前に渡ることができ、なんとか無事に検温とエントリーを済ませることができました。持参したどら焼きと頂いたスポーツ飲料を飲んで、E組がスタートした後、ガラガラになったトイレで悠々と用を足し最後尾からのんびりスタートしました。天気は快晴風もなく、半袖シャツで絶好のマラソン日和です。慌てず騒がず気分は最高です。脱力して1キロ7分より早くならないよう調子に乗らない様強く戒めて、十分なエネルギーと水分をため込んでいるので15キロまでノンストップで行きました。
途中、善福寺川ランナーズの御旗の下、中西さんと海老名さんの声援を受け、勇気をもらい水分補給とジェルを飲んで、慎重で順調な滑り出しでした。20キロごろから右太腿とお尻あたりが筋肉痛になり、それでも軽快に走っていましたが、25キロあたりから左のひざに痛みを感じ始めました。30キロから痛みがひどくなり、走りも重くなりました。33キロあたりで応援のお二人に再開するころには泣きが入っていましたが、せっかくの応援に応えようと走り始めました。しかし膝が痛く走りも重くなる一方です。35キロあたりは半数以上のランナーが歩いていました。私も歩きたい誘惑に何度となく誘われました。給水所ごとに休憩を取り、1キロごとに休憩を取り、500メートルごとに休憩を取り、38キロあたりで5時間00分のペースメーカーに抜かれ、追いかける気力もありませんでした。
40キロあたりで、愛妻と再会しチョコレートを渡され食べました。「もうだめかもしれない。」とつい弱音を吐いたら「もう少しだから頑張って、歩いてもいいから!」と言われ涙が出そうでした。もう一度休憩を入れ、ゴール前、どこにも欠片さえ残っていないと思っていた力が不思議と湧いてきて、ラストスパートさえかけられました。なんという好都合な体でしょうか。まあそのお陰で、気持ちよくフイニッシュできましたが。こうして、グタグタな走りを終えました。最後まで歩かずに走り切るという6年前のリベンジ目標は一応達成ということになりましたが、全く喜びが湧いてきませんでした。一応走ってはいるものの早歩きのランナーに抜かされる始末で、限界をとうに超えてしまった身体は言うことを聞いてくれず、苦痛に満ちた走りになりました。もっと楽しく練習して、30キロ、40キロを楽しく走れる様になったら、フルマラソンを最後まで楽しく風を切って走れる自信が付いたらもう一度チャレンジしたいと思います。
Comments