【青梅マラソン】病み上がりランナーのため息
- 南部 哲郎
- 2023年2月26日
- 読了時間: 5分

ランナーが突然走れなくなる理由、それは坐骨神経痛などの故障、不慮のケガ、そして病気…。なかには多忙な仕事や家族の介護等のラン環境激変等の人もいるだろう。私の場合は想定外の「病気」だった。「バカは風邪ひかない」で、コロナは勿論、風邪も何十年も罹っていないのに。
ことの始まりは昨年11月2日の会社の定期健診で、胃&大腸内視鏡検査した時だ。そこでなんと思いもよらぬ結果を宣告された。検査医師は「大腸(上行結腸)にかなり大きな病変があります。当院では大きすぎて治療できないので、主治医と相談して大学病院等に行くように。急いでください。絶対に放置しないように」とのこと。私は『なんのこっちゃ、全く自覚症状ゼロなのに』とビックリするも、医師が示す「病変の画像」をのぞき込むと、そこには「いかにもそうか」と素人でもわかる悪人面した腫瘍?が映し出されているではないか!
癌罹患者ならば誰もが思う「何で私が!」と「転移・再発はどうなるの!」、検査後の数日間はこの2つで頭がいっぱいだった。そしてむさぼるように関係書籍やネット解説を読みまくった。私はとにかく迅速に完璧に退治してやろうと、その道の権威ある大学病院の名医を尋ね、「最速でお願いします」と申し出た。その結果、12月27日に手術(早期悪性腫瘍大腸粘膜下層剥離術ESD)・一週間程度の入院となった。当初の医師の見立てでは、開腹(腹腔鏡手術等)か内視鏡手術か、その瀬戸際だと診断されたが、ラッキーにも「内視鏡手術で大丈夫です」との名医の一言に一気に楽になった。そうして私はコロナ禍ゆえに完全面会謝絶の静かな病室で年末年始をひとり過ごした。
無事に手術が終わり、執刀医が毎日病室を回診する。その時、私の足の黒爪の数々を見た執刀医は「南部さん、ランナーですか?結構、走っていますね。いいふくらはぎです。走れなくて辛いお気持ち、よくわかります。私もランナーなので(笑)」。私は「先生、いつから走れますか?レースに出られるのはいつ頃でしょう?」。先生「1月いっぱいは決して走ってはいけません。もちろんアルコールもダメ。2月初旬もキロ7分以上で30分以内のジョグが望ましいです。インターバルやスピード練習は2月後半からでしょうか。とくに1月中は厳禁。言うこと聞かないと再入院で一時的に『人工肛門』になりますよ。そんな患者さん、何人もみていますから」。若い執刀医先生の丁寧かつ適切な指導に接し、65歳の高齢者はタジタジだ。
病室の窓からは、ランナーの聖地「国立競技場」が毎日、眼前に広がる。『新宿シティハーフも近いな…』と窓を眺めながら大きなため息、ひとつ、ふたつ、みっつ・・・。
退院後1月いっぱいは「冬眠状態」だった。仕事は通常通りこなしたが。そして待ちに待った2月が到来し、執刀医から「順調ですね。もう『完治』と判断します」とのドクターストップ解除宣言?を頂戴した。2月といえば私は3年ぶりリアル開催(2/19)「青梅マラソン30キロ」にエントリーしていた。退院時には『絶対にDNS(欠場)だな』と諦めていたのに、善福寺川を気持ちよく走るランナー達にすれ違うたびに、『のんびりカメさんで完走だけなら、なんとかなるかな』とヨコシマな情熱を抑えきれなくなってきた。
そして善福寺川ランナーズの有志に「2月12日朝練で30キロ走をやりたいので是非お付き合いください(一人ではなかなか完走できない)」とおねだりした。すると同世代おじさん達が4人も付き合っていただいた。コースは善福寺川下る~環七~神田川遡上~井の頭公園陸上トラック~復路は玉川上水~そして往路の善福寺川に合流、往復約32キロ走だ。私は20キロまではそれなりに快調。しかし、なまった身体は正直で、残り10キロはおじさん達についていけず、塚山公園で「皆さん、お先にどうぞ。ここで流れ解散とします。ありがとうございました。私は何とか4時間切りで、せきれい橋をひとり目指します」と無念の『敗北宣言』。這う這うの体で、ゴールせきれい橋に4時間以内ギリギリの4分前に到着した。
そして2月19日のレース本番を迎えた。天気・体調など全て好条件。敬愛する高橋尚子さんの号砲と声援で、11時30分にスタートした。往路は思いの他好調だった。5キロのラップは27分前後が続き、『あわよくば3時間切り?』、なんて少し余裕だった。15キロの折り返し地点が近づくと、白バイに先導された屈強なエリートランナー達が超高速で次々と駆け下りてくる。するとツワモノ男子ばかりの屈強集団に紛れて紅一点、当会のエリートランナーK女史が颯爽と華やかに走ってくるではないか!凄すぎる!私はスライド(ランニング用語:大会時にすれ違う時)で、目を丸くしてエールを送った。
折り返してからの後半の大半は下りだ。だから後半に失速・撃沈グセのある私には有難いコース。でも2つだけ大きなこぶのような登りがある。そこを乗り越えれば、3時間は切れる!私は走れる喜びを全身に感じてゴールを目指した。一つ目の登りこぶが来た。そこで高橋尚子・Qちゃんはランナー達にハイタッチで激励してくれていた。彼女はどんな大会でもいつも一番苦しいポイントを心得ていて、そこでフレンドリーに応援してくれる。そういえば私が初めてサブ3.5達成した長野マラソンも彼女は35キロ地点でハイタッチしてくれて元気回復出来た。「Qちゃん、いつもありがとう!」、私は大声でしかも感極まり半泣き声で叫んだ。
とはいえ人のサガはなかなか変わるものではない。25キロ越えた辺りからいつもどおりの失速。心のどこかに「3時間切れるから上出来。病み上がりだから無理なく無理なく」とつぶやく『言い訳病』が発症してきた。それでも何人かを抜かれ抜き返し、何とか無事にゴール出来た。ネットタイムで2’51’50。往年の2013年には2’17’14で走り抜けていたのに。厳しい現実に少しがっかりするも、気を取り直して「これから、これから。巻き返しの始まりを無事にスタート出来たのだから」と私は自分に言い聞かせながら、家路についた。
※善福寺川ランナーズの30キロ走にお付き合いいただいたおじさん達、ありがとうございます。皆さんのおかげで納得感ある復帰レースとなりました。心から感謝申し上げます。
※写真は入院した病室窓から毎日見える国立競技場、30キロ走をサポートいただいたおじさん達、青梅マラソン・ゴールの病み上がりランナーです。
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