2024年1月3日新春ロング「新宿山ノ手七福神」
- 佐原 匡
- 2024年1月5日
- 読了時間: 4分

恒例の1月3日の新春ロング、2024年は「新宿山ノ手七福神」巡りでした。起点はいつもの善福寺川せきれい橋、終着は箱根駅伝の最終十区を応援するために新橋。総距離は25キロ、お参りを含めちょうど4時間半になりました。
ところで七福神に入る前に西新宿で私たちの「聖地」を二か所ほど寄りました。まず熊野神社。何と言ってもここはメンバー重鎮の青柳さん、ゆかりの地です。ご本人の結婚式、そして社殿の囲いの一本には奉納したお爺さんの名前が刻まれているのです。加えてもう一か所が「走りの神様」韋駄天尊神です。お釈迦様が入滅後、 仏舎利を奪った疾足鬼に対し、特有の脚力で瞬時に奪還したとのこと。
それでは七福神巡りの開始です。まずは東京メトロ「新宿御苑前」近くの太宗寺。閻魔大王と地蔵菩薩で有名な浄土宗の寺院ですが、その直前にあったデジタルサイネージには驚かされました。イケメン男子が上半身を裸にしたジムの宣伝です。早朝だと雰囲気が普通ですが、太宗寺は新宿二丁目にあるのです。
次が稲荷鬼王神社です。富士塚でも有名ですが、残念ながら現在は登ることが出来ません。それより懐かしかったのは、昭和の映画ポスターを展示していることです。かつて隣に「大久保館」という映画館があったことが縁とのこと。その一枚が『愛ってなんだろ』という昭和48年の映画でした。主演は天地真理と森田健作、20歳代前半の二人が大きく描かれているのです。
そこから職安通りを上がったところにあるのが、厳島神社、法善寺、永福寺です。走るには厳しい坂道ですが、かつてここには都電が走っていたとのこと。ただ、見どころが多かったのは、厳島神社を兼務している西向天神社だったかもしれません。坂道を再度下るということで神社を訪問したのは半数でしたが、ここは菅原道真を祭っているのです。加えて、有名なのは太田道灌に山吹を差し出したという逸話に出てくる紅皿の墓があることです。「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき(『後拾遺和歌集』所載)」。更にもう一つ付け加えるのなら、『新宿の女』の歌碑です。藤圭子(宇多田ヒカルの母親)のデビュー曲です。
ここから1.4キロ走ってたどり着いたのが経王寺でした。願いが叶うお大黒様の打ち出の小槌で有名ですが、分からなかったのは巫女さんとツーショットの写真を撮る人がいたことです。ここの住職は、盛んにSNSを活用するなどユニークな方なので、何かあるのかもしれません。ただ我々が見たかったのは巫女さんではなく被爆クスノキでした。長崎原爆の爆心地から0.8キロの場所で被災したクスノキから採取した種から育ったとのこと。心に刻まれました。
そして最後の善国寺ですが、新年のご祈祷で賑やかでした。日蓮宗のお寺は華やかです。そういえば、今回巡った寺社の中でお寺は5ケ所、そのうち3ケ所は日蓮宗でした。東京には日蓮宗のお寺が多いようです。帰宅後調べてみると、新宿区には28ケ所あるそうです。
さて、聖の世界が終わって、ここからは俗との境界線です。神楽坂を下がって、飯田橋、靖国神社、そして千鳥ヶ淵から桜田門にかけて皇居半周を走り皇居外苑に出ました。結構ランナーがいたのですが、その多くが外国人でした。
そんなこんなで、ようやく最終目的地の新橋です。疲れもピークになった頃、後ろから「ガンバレー」という大声がします。駒大の「オオヤギ」前監督かと思ったら、我らが「アオヤギ」さんでした。ビールを前に最後の踏ん張りです。
そのまま新橋ライオンで乾杯をし、12:45頃、西新橋交差点に向かいました。直井さん、ビール代のカンパありがとうございました。沿道は応援で一杯でしたが、今年の交差点は順天堂大学のチアリーダが占拠していました。
では今年の結果です。重永さんの青山学院、優勝おめでとうございます。静さんの大東文化大、シード権おめでとうございます。残念だったのが、直井さんの中央大学ですが、楽しみを来年に持ち越しただけです。辛抱、辛抱。
ところで、箱根駅伝には年齢制限がないのをご存じですか? つまり、我々も見るだけではなく、これから更に臥薪嘗胆し、関東学連に加盟している大学に入学すれば参加できるのです。人生、楽しみが増えてきました。もっとも、これまでの最高齢は33歳とのことです。
Comments