防府マラソン悲喜こもごも
- 中西 俊秀
- 2019年6月3日
- 読了時間: 3分
山口県防府市は30歳から50歳までを過ごした私の第二の故郷。そこで開催される防府マラソンは以前から実業団の新人登竜門として知られ50年の伝統を持つ。現在、市民ランナーも参加できるが制限時間4時間のシリアスレースとなっています。

2012年、11月の「つくば」にて「サブ3.5」を達成し「66歳伸び盛り」とうそぶき、その3週間後の「防府」への自信も深めていた時期です。12月に入って年賀状を交換していた防府の50人以上の方に出場を連絡すると、転勤で防府を去って16年余、退職してから6年経っているOBのマラソン挑戦に、激励と「○○付近にて応援するヨ」などとの連絡をいただき、どこで誰が応援して頂けるかがイメージできた。当時の目標はいつも自己ベスト。はやる気持ちを抑え走り出すと、友人が私の名前の入った大きな横断幕を掲げて応援していて驚かされ、また、今や50代の元新入社員の女性たちともハイタッチ。キャーキャー大騒ぎしてくれて一瞬だが昔に帰って元気をもらい、ついテンションが上がってくる。中間点を過ぎて昔勤務した研究所の懐かしい建物の横を通ると、大勢の昔の仲間たちが名前入りの小旗を振ってくれていました。(写真)
ここまでペースは想定通りでしたが、25km過ぎから太腿の前側に変調をきたし着地のたびにピリピリ痛み出し、徐々にペースが落ち出す。昔の上司が大声で応援してくれる。小さな跨線橋を痛みに堪えて越えキロ6分台になる。30km過ぎで折り返すと収容車が近くに迫ってくるのが分かる。更にジョギング並のキロ7分台に落ち、太腿が悲鳴を上げているが、知り合いの応援が途切れないので立止まれない。残り5kmで計算すると4時間内のゴールは危うい。心は焦るが足は動かない。知人の応援に気づき手を上げるが顔は歪む。古巣の会社付近の大応援で力をもらい、小さな緩い登り坂をよじ登る思いで歩を進める。最後の給水所は既に店じまい。やっとの思いで競技場のゲートが開いているのを見て安心するも、ゲートの50m以上手前で「閉門30秒前」とのアナウンス! ゲートが閉まるとこの4時間の苦労が水の泡となる。閉まり始めた扉の隙間に必死の思いで滑り込む。トラックに入り後ろを見るともう一人がいる。まさにブービー賞! 競技場では「最終ランナーに拍手を!」というアナウンスぐらいはあるかと期待したが完全に無視でした。辛うじて完走できたが4時間03分という「故郷に錦」とは程遠い成績で終わりました。痛みの原因は、おそらく「つくば」で受けた筋肉のダメッジがやはり3週間では回復不十分だったのでしょう。
打上げは社内の出場者2人と共に、当時の仕事仲間で今では工場の幹部となっている人達など50名余りの懐かしい連中と一緒に盛大にやっていただいた。OBのマラソン挑戦に熱烈な応援・歓迎をしてもらい「防府」を走って良かったという感慨に満たされた一日でした。
その後も4回連続してエントリーし、3:28、3:44、3:58、そして2016年には再び4:01と閉門間際の滑り込み完走となり、ついに2017年からはエントリーを断念しています。
制限時間ギリギリの実力となった今、「防府」のハードルは実に厳しく恨めしい。
Comments